シリア戦争から10年、これからの10年
3月15日でシリア戦争が始まって10年になり、FACEBOOKでは様々な講演会が毎日配信されています。ようやく考えや思いがまとまったので遅ればせながら記事を書いてみました。
スウェーデンは本当にたくさんのシリア難民を受け入れ、2016年の統計を見てみると受け入れた難民は71571人に登ります。(Ekonomifakta.2021. (a))
他の北欧諸国と比較するとかなりの数でして、このリンクでは人口一万人あたりどれくらいの割合で受け入れたのかを国際比較できるグラフがあります。
書き出してみると、2016年では
スウェーデン(青緑線) 67.6
ノルウェー (緑線)24.53
フィンランド (黄色線)12.88
デンマーク (赤線)12.48
アイスランド(ピンク線) 2.86
ついでにドイツ (青線)52.8
割合でみるとわかりやすいですね。(Ekonomifakta.2021. (b))
私がスウェーデンに引っ越したのは、ちょうどシリア内戦が激化したころの2016年でスウェーデン語学校ではたくさんのシリア人クラスメートと一緒に勉強しました。
日本に居るときはシリア問題は、対岸どころか向こう岸も見えない遠いところで起こってる火事のような感覚でしたが、実際に命からがら逃れてきたクラスメートたちと出会い、死者数を見るだけじゃわからなかった戦争の残酷さを肌で感じました。
戦争の残酷さは、
死が戦死者数として数え上げられ、数字になり、確かにこの世界に生きて愛されて愛して生活していた人たちの温かい記憶が取り残されてしまうこと、だなぁと思います。
もっと具体的に考えてみると、
亡くなった人たちをちゃんと埋葬してあげられない申し訳無さ、
大切な人のお墓参りにいけないこと、
故郷を捨てなければいけない哀しさ、
家族をシリアに残さざるをえない苦渋の決断、
家族を喪う痛み、
たとえ新しい土地で生活を立て直せても、避難する長い旅路の途中で死んでしまった我が子の成長を見られない無念さは一生をかけても晴れることはないでしょう。
シリアにいる家族や友人からのメールを確認するとき、そのメールが彼らの死を伝えるものだったらどうしよう、と不安を感じながら毎日メールボックスを開けること
新しい土地で「難民」カテゴリーで生きることに感じる自尊心のゆらぎは、権威主義国家ではありましたが国家としては機能していたシリアに住んでいた人たちにとって、とってとても苦しいものです。
日々の生活で、ふとした時におそわれる喪失感や頼りなさ、所在のなさは新しい生活を始めても、ずっと長い人生の中で付き合っていかざるを得ない心の穴となります。
ダマスカスから逃げてきたというクラスメートは、夜寝るとき外で銃撃戦が始まり、
もうやめて!いい加減にして!
と銃弾が飛び交う中へ駆け込んでいったそうです。
毎日毎日銃弾の音がするたび、人が死に、人が死ぬ音がイコール銃声で、誰かの死を意味する銃声の近くにいすぎて、頭がおかしくなっちゃったのと語ってくれました。
難民の受け入れは、受け入れ国社会にさまざまな課題をもたらします。
これまでにないほどたくさんの難民を一度に受け入れるためのシステムが整ってなかったという理由だけでなく、以前からあったシステムの歪みが明るみに出て様々な社会問題が連鎖的に生じるからです。
例えばスウェーデンだと、
都市における住宅難は数が圧倒的に足りてないだけでなく値段が高すぎるという問題がずっとありましたが(The LOCAL.2017)、 難民受け入れでより状況が困難な人に住宅が優先的に提供されたため、スウェーデンに元から住む人たちの不満はとても高くなりました。
社会の揺らぎに伴って、難民や移民に対するネガティブな感情が高まり、イスラームを信じる人たちを他者として排除したいという敵意と蔑視は、多くの国で無視できないくらい膨れ上がっています。
特にスウェーデンは上で書いたようにたくさんの難民を受け入れ、人口動態が変わるほどの変化でした。
全く違う文化と宗教の人たちが突然隣人になったために、スウェーデン社会は大きく揺れ、その揺れの一つの結果として人々の不安が増大し、難民受け入れ前の社会、過去の良きスウェーデンというノスタルジックなイメージ、に戻りたい!と反移民・自国中心主義(もしくは愛国主義、ナショナリズム)に拍車がかかります。
SDスウェーデン民主党がいい例。
難民は生活保護や手当に甘えて経済発展の負担だし、治安を悪化させる。
言語を学ぶ気もないし、自分たちの文化に拘って、スウェーデン文化を学ぼうとしない。
「わたしたち」と違う「かれら」は他者であって、私達と相容れない。
テロを起こす潜在的な危険因子だ。
などなど、様々なネガティブな言説が溢れています
100%違う、と言えないのは事実です。
難民がスウェーデン社会で経済的に自立するには平均8-10年かかりますし、補助金も生活に欠かせません。
ここ数年、ギャングの抗争が激しくなっているのは偶然とは言えませんし、外国生まれの人たちが住む地域とスウェーデン人が住む地域の分離はどんどん進んでいます。
現象を他の視点からみれば、反移民・自国中心主義の人たちのロジックも理解できます。
ですが、
私は、やはりスウェーデンがレバノンやドイツやトルコと同じように負担をシェアしたのは人道主義国家として英断だと支持しています。
シリアの近隣諸国で難民キャンプを作ってそこに閉じ込めるより、はるかに多くの子どもたちの未来を守ることができたと思っています。
スウェーデン語学習やホテルでの仕事、ボランティアを通して、精一杯新しい国で一から生活を作り直し、仕事をし、生きている人たちにたくさん出会いました。
何とかスウェーデンに根付こう、ここで人生を立て直そうと頑張る人々です。
スウェーデンや日本のような豊かなthe global north北半球でマジョリティ多数派として生まれ、育ち、生活している人が当然のこととして享受している自由、権利、保護、選択、医療、教育は、言葉と文化の壁がある国でマイノリティとして生きている人々には必ずしも約束されていません。
例えば、出産のとき、医療の専門用語がわからず、説明してほしくてもそれを伝えられなかったら、スウェーデン人と同じようなケアは受けられません。
スウェーデン語を勉強したくても子どもたちのケアや家事に追われて時間がないお母さんたちがたくさんいます。
そういうお母さんたちはなかなか安定した仕事につくことができません。
また、
戦争という圧倒的な暴力から逃れてきた人たちは、新しい土地に移ってもトラウマに苦しみ、心身ともに健やかとはいきません。
難民の人たちが直面している様々な困難は、多岐にわたり複雑です。
安全に、明日もいい日になるよねと当たり前に信じてゆっくり眠れるひとは、一握りなのです。
今、
コロナで人々はさらに自国中心主義になり、戦争や紛争の中で生きる人たちへの関心が低くなっています。
この3月を、
難民を社会の負担・リスク・異物と捉えたり、自分とは関係のない存在として距離をとるのではなく、
彼ら彼女ら一人ひとりが何を奪われたのか、
どういう人生を歩んできたのか、
今何を感じているのかに耳を傾け、
どんな状況にいるのか心をくだき、
これから一緒に何ができるか考え、
自分と同じように日々を生きている隣人、同僚、クラスメート、友人、恋人、家族として思いやりをもって向き合いつづける10年の始まりにしてほしいなと思います。
参考
BBC.2020.移民は欧州をどう変えたのか 大規模流入から5年.
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53973531
Ekonomifakta.2021. (a).Flyktinginvandring.
https://www.ekonomifakta.se/Fakta/Arbetsmarknad/Integration/Flyktinginvandring/
Ekonomifakta.2021. (b).Flyktinginvandring - internationellt.
https://www.ekonomifakta.se/Fakta/Arbetsmarknad/Integration/Flyktinginvandring---internationellt/
NRC.2020.These 10 countries receive the most refugees.
https://www.nrc.no/perspectives/2020/the-10-countries-that-receive-the-most-refugees/
SCB.2020.Allt fler beviljade medborgarskap.
https://docs.google.com/document/d/185TO_haWL3dIOeI3zcvSOjF3sFEtqAyRQyECNnSWF9k/edit
SCB.2021.Befolkningsstatistik.
The LOCAL.2017.The story of Sweden’s housing crisis.
https://www.thelocal.se/20170828/the-story-of-swedens-housing-crisis/
UNCHER. 数字で見る難民情勢